株式会社なるみ会社概要

≪ 株式会社 なるみ 沿革 ≫

  • 明治16年(1883年)仙台市荒町19番地にて創業・初代 佐 瀬 儀 平
  • 日露戦争にて佐瀬 儀平 戦死(明治38年 没)・儀平妻相続 佐瀬 はつ
  • 創業時屋号として「鳴海屋」の名から後に苗字を鳴海とした。
    ・現在社名(株)なるみとなる。代表取締役社長 鳴海一夫
  • 昭和29年(1954年)大町五丁目205に移転 鳴海屋紙店開業 鳴海 孝三郎 (金野 孝三郎)
  • 昭和45年大町5丁目205(現在のマーブルロードおおまち)四代目当主 鳴海 三郎(小関 三郎)
  • 昭和62年(1987年) 株式会社なるみ設立・五代目 鳴海 敏夫
  • 平成21年(2009年)父鳴海敏夫没後・六代目 鳴海 一夫
  • 令和2年(2020年)株式会社なるみ (現在)34期

昭和初期から昭和40年代、この時代は障子紙・襖紙・結納品・熨斗紙・等が主力商品で店頭には毎日大勢のお客さんが店頭に並んで買い物をしていました。二階の暗く冷たい倉庫には沢山の種類の商品が大量に置かれていて、そこから客注の商品を探し出すのが子供のころの自分の仕事でした。紙の匂いと冷たい床の中、迷子になるくらい広い中、いつも駆け足で階段を転げ落ちていました。
昭和も後半になると、成長する日本の生活様式が次第に西洋風に変り日本的な商品の出番が少なくなり、それらの商品の出番は殆ど無くなりました。仙台七夕の材料もこの時代からの反映で整えられてきましたので将来が危ぶまれます。懐かしくも昭和の時代のここでの生活は井戸と竈(かまど)が有りトイレは汲み取りで外に並んでいました。自分が小学校のころ、学校から帰るとおばあちゃんがお砂糖のたくさん入った卵焼きをいつも焼いてくれました。ときには、お屋敷に青大将が出没し、籠の中の卵を頂戴することがありました。そんな昭和の時代も束の間で、昭和62年には近代化された大町商店街もアーケードも立派に改築され、全面歩行者天国となり歩道には大理石が敷き詰められ、その名も「マーブルロード」と名付けられました。昭和時代に並んでいた老舗の店舗の殆どは中央資本のテナントビルとなりその面影は面通りからほぼ幻となり消えてしまいました。
当社、現在は紙卸商として卸町東にて営業中です。仙台中央の七夕の店は卸町東本社に移転営業中です。

鳴海屋紙店 大町五丁目
大町五丁目205 (昭和45年)
夏といえば仙台七夕が季節の象徴で
仙台七夕と共に、ここで育ちました
鳴海三郎 鳴海屋紙店四代目
左 鳴海三郎
今の仙台七夕が存在するのはこの人のおかげです。
仙台七夕実行委員会など町内会の繁栄に尽力しました。
当時の年寄りは悠々堂々とみえたものです。

鳴海 一夫の祖父四代目鳴海 三郎(左)
 
祖父鳴海三郎は元富士通信機製造に在職しており
FM電波に大きな功績を残しました。


鳴海一夫
私が社長の鳴海一夫です。
こんな写真でごめんなさい

地元仙台でここ紙屋の長男として生まれ、以来50数年間デザインから創作まで和紙と竹細工から飾りつけまで仙台七夕に関わってきました。仙台七夕を愛する市民に支えられ、観光に訪れる方々に喜んでいただける。
そのすべてが、感謝の気持ちでいっぱいです。

七夕稼業での一番の感動は8月6日仙台七夕初日の朝です。
毎年、目の前いっぱいに飾られた七夕飾りで感無量になります。

仙台七夕 一番町ブランドーム
仙台七夕まつりの初日の朝

仙台七夕は日本一、200万人以上の来場者数を誇る


≪ 株式会社 なるみ 会社概要 ≫

  • 商号 株式会社 なるみ
  • 所在地 〒984-0002 宮城県仙台市若林区卸町東2-7-18
  • 電話 022-238-2244
  • FAX 022-238-2246
  • E-Mail  メールボックスよりお願いします
  • 代表取締役社長 鳴海 一夫
  • 資本金 1,000万円
  • 主な事業内容 
    ・七夕飾り・七夕材料・和紙・友禅千代紙・印刷物・事務用品PC・パッケージデザイン・段ボール
  • 事業年度・4月~3月末
  • 従業員数 7名

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